地獄辞めました
地獄職場を退職しました。
そして元取引先に転職致しました。退職の後に決まった転職なのに地獄にいる時から噂されてとても心地が悪かった。地獄人間たちは暇なので噂が好きなのだ。
辞めて尚憎らしいそれが地獄。
しかし、囚われていてはいけない。PTSDかのように地獄ではこうだったああだったとフラッシュバックしても。今は幸せな現実、ここで認められ、求められる人間でいよう。
そう心がけてはいるが(自己啓発本か?)、新卒地獄就職で己の全ては地獄仕込みなのだ。手のひらをじっと見つめると自ら地獄送りにした案件が脳裏を過ぎる。ここは現実だが、所詮私も現実にやって来た地獄人間に他ならない。今までをどうやって現実の会社で武器にすれば良いのか、頭を抱える。
シザーハンズの気分だ。
かりそめの鋏の手のままに街に出てきたエドワードに自分を重ねてしまう。
己も失敗してまた山に帰り、独りで好きな子の氷像を彫り続けるのだろうか。
いや〜それも悪くない。それで街に雪を降らすなんてめちゃくちゃ良い。
ただペグやキムに恩を返したいとは思うの
眠れない夜の清掃
眠れない夜に掃除を始めてしまう。もうそこそこの深夜であるのにやり残したことややらねばならぬことをつらつらと考えていると我慢ならず布団から飛び出してしまった。
朝は布団から出られずに起きられないというのに、一日みっちり働いた今シュババッと立てるなんておかしい。納得がいかない。
これこそ悪循環だと分かってはいながら、とにかく行動して解消してしまいたい。
流しの水垢、トイレの黒ずみ、風呂の排水口にひっかかった髪の毛、クイックルワイパーで収集される髪の毛。洗濯機からも髪の毛。髪の毛、抜けすぎではないだろうか。
しかし、元の銀色を取り戻したステンレスの流しが便器が排水口が床が輝かしく見える。満たされた。
もやもやと渦巻いていた昨日への後悔と明日への不安が薄ぼんやりと遠ざかったような感じだ。目を凝らしても輪郭があいまいにしか見えない。
よし。
寝よう。
この時に思い出される曲がある。モーツァルトの交響曲第40番。
のだめカンタービレ(大好き)と年末の第九中継ぐらいしか縁のない女でクラシック音楽の何かを知っている訳ではない。知らなくても知ろうと思えばとても楽に手を伸ばせるApple music、良い時代です。
モーツァルトの交響曲の中でも最も有名な一曲とされる第40番、というのも今調べて初めて知った。
この第一楽章が通っていた小学校の清掃時間に校内放送されていた。地域や時代によっては公立でも児童生徒自ら掃除を行わないと聞いたこともあるが20代後半の沖縄県民は小学生から高校までずっと清掃していた。そして清掃時間が嫌いな口ではなかった。
カセットテープ音質で割れたモーツァルトとリノリウムの床の上の埃と髪の毛。給食の後の労働。
今でもこの始まりのヴィオラの忙しないフレーズを聴くとほうきを握り締めて「15分で掃除をきっちりやろうぜ」と怒り半分の気持ちを思い出す。
怒りというのは清掃時間を前倒しの昼休みだと思っている人間に対しての怒りだった。
昔からいちいちイラついて、それを力に動いていたのかと気づかされる。
今でも「今日こそは終電ではなく終バスで帰る」と足元を睨みながら会社の門扉をくぐる。バスの方が座りっぱなしで帰れて楽なのだが最終便の時間が電車に比べて2時間も早い。そして終電の中で「仕事が多過ぎんだろうが」とブチ切れながら帰る。仕事が多過ぎるのが悪い。とキレ帰る。いや多過ぎるのだ。
10代の己の怒りともう半分は純粋なやる気だった。給食に出た米粒が踏み潰され引き伸ばされて黒くなった筋を雑巾でこすり取ったり、ある机の位置に大量に落ちている消しかすをちりとりに入れ込むことに快感を覚えていた。
その快感すら変わっていないとまた気づかされてしまう。
うーん、三つ子の魂百まで。
モーツァルトの音楽の如く。
地獄の働き方
地獄のような仕事をしている。
繁忙期には24時間稼働可能な強靭な肉体と劣悪な環境に負けない不屈の精神を必要とされる。そこに、凡人以下のステータスで臨んでいる。
うそをつく上司、ストーカーの同僚、後輩には罪はないがとにかくうまくやれていない、取引相手もうそをつくし時間は守らないしとにかくうまくやれるわけがない。
ああ、無理。そんな感じ。
二日ぶりに家に帰ると、育てていた植物が枯れている。
風呂に入ろうとするとこそげとられた若さを鏡で目の当たりにする。
世間一般に言われるお肌の曲がり角を身をもって実感しつつ、結婚適齢期の気配は皆無。
徹夜中はとにかくご飯を食べ続けてしまうためか、姉と同じ太り方をするようになった。
仕事の経験値とこの身に起きる加齢現象で確かな時間の流れを感じている。
朝6時。いつ帰れるのだ。
梅雨
東京も梅雨入りしたらしい。
週半ばの水曜日、平年より2日、去年より1日早い入りであるというニュースを見ていた。
亜熱帯の南国育ちの私にとっては梅雨ももうそろそろ終わりという頃。今更梅雨に入っていくなんて流行り廃りに疎いものだ、最先端は夏、夏夏夏ですよ。はは。
と思うが、ここにはその感覚を分け合える人間はいない。
夏に関して好きなものがある。
エアリズムの黒いキャミソールに羽織る開襟シャツ。
サンダルで自由になった足の指。
外回りの車中で聴くグレイプバイン。
西日であっつくなった部屋を出た時に感じる夕方の風。
家に余らしたレモン果汁をしこたま注いだハイボール。を飲みながらの日曜夜のバラエティ。
これらを思い浮かべるとどうにも沸き立つ。曇天の向こうにある太陽を期待してしまう。分け合う相手はいないが、この楽しみを誰かに教えることを惜しく感じているのも事実だ。
太陽に照らされる季節すらこっそり楽しむのが好きだと自覚する。暗い。
ブログ、はじめました。
先日ツイッターのアカウントを消しました。
ああでも何かを言いたくて仕方ない、聞いてほしくて仕方ない、書きたくて仕方ない。
そのような気持ちに焦がれ、ブログ、はじめました。
夏の定番フレーズを借りまして、これからよろしくどうぞ。