さけるズボン
今朝、ズボンの股がさけた。
人生で初めての出来事だった。
何日も会社に泊り込むのが続き椅子に座ったまま睡眠をとっていたために体ががちがちに固まっていた。それらの不快感を解消しようと歯ブラシくわえながら四股を踏むスタイルでスクワットしようとした。
なにがしかの音が鳴り尻に刺激が届いた。受け入れ難いことだがズボンの股が派手に破けていた。
(10年選手のそれだったのでそりゃあ破れるという気もしたが、樹木希林さんの特番で見た「物の寿命を全うさせる」というのはこういうことだとかも思ったりしたが)
私のズボンが破けたのは私が社畜だから、そこに理由がある。
ネット上で私は自分のことを社畜と称している。
現実世界では社畜じゃない時間が少なすぎて、ネットでは俯瞰して社畜と呼ぶようになったのだと思う。
仕事しかしていないから周囲にも同種族社畜しかいない訳である。
こうもシャチクシャチクと繰り返してはいるが
私には社畜がわからぬ。(メロス)
お友達にそう言われるのでそうなのだと思ってきた。それと昔のくそ上司が「俺は社畜なんかじゃない!」と熱を入れて否定していたのを見て逆説的に「我々は社畜というものなのだな」という自覚が芽生えた。
社畜(しゃちく)とは、主に日本で、社員として勤めている会社に飼い慣らされてしまい自分の意思と良心を放棄し奴隷(家畜)と化した賃金労働者の状態を揶揄したものである。「会社+家畜」から来た造語かつ俗語で、「会社人間」や「企業戦士」などよりも、外部から馬鹿にされる意味合いを持つ。
検索すると上記のように教えられた。
なんでもかんでもwikipedia
自分の意思と良心を放棄
かわいそう…
外部から馬鹿にされる意味合いを持つ
かわいそうすぎ…
それが人間のやることかつって
ちなみに私はいつも『「社」会の「畜」生』とタイピングしている。
いわゆる社会への恨みつらみを持つ社畜であることを裏付ける証拠だ。
そう、私がつらいのは社会のせいで、世の中のせいで、時代のせいで、周囲のせいで、地域のせいで、それのせいで朝ストレッチをしてズボンの股がビリリと鮮烈な音出して破けるのだ。
そうなのだ。社会が悪い、会社が悪い、いい加減にしてくれよな。
スクワットで破けるような布をパンツと呼ぶ義理はない。
この記事に真っ当な意味はない。